子宮内膜症闘病記4

 

 その次の日。栄養剤の点滴をしているので、さほど空腹感はないが、それでも朝食を半分ほど食べた。看護婦さんに「何とか動かなあかんで。今日もう尿管抜くのに、どうなる?」と、抜かれてしまう。まあちょっと楽になったが、トイレに行かねばならない。母に点滴を持ってもらいトイレに行くも往復15分もかかる。昼過ぎ上司が見舞いに来るが、こんな早々に来られても、、、。5分ほどで帰られる。痰がまだ出ているが昨日よりはかなり痛みもましだ。日に日に進化して行ってるという感じがする。まだトイレに行くのは一苦労なので、寝る前にしっかり出してから眠りにつく。       

 その後は、毎日少しずつ体調も良くなり、食欲も出てきた。しかし、笑うとかなりお腹が痛むし、一度、思わずくしゃみをしてしまったときは内臓が飛び出たかと思った。傷跡は、糸で縫ってあるのではなく、ホチキスで留めてあるので、それはそれで痛い。手術後6日目でシャワーを浴びられた。と言ってもお腹の部分は念のため避けて、足、手、首から上だけだったが、それまでは看護婦さんのくれるお湯で体を拭くだけだったのですっきり。       

 手術後8日目。内診と、超音波を受ける。手術の時の写真も見せてもらう。左の卵巣と子宮と右の卵巣、そして大腸にまでべっちゃりと癒着していた。こんな感じだったので5時間半もかかったと先生が言った。出血はかなり多かったが、輸血はせずに済んだと。その後ホチキスをはずしてもらう。少し痛かったが、その後はすっきりとした。  9日目に晴れて退院。でもあんなになるまで、どれぐらい時間がかかったのだろう。この1年で、あんなに卵巣が大きくなり、癒着したのだろうか。それとも大学生の時のあの痛みの時からじわじわと大きくなっていったのだろうか。今は、とにかく、卵巣も両方とも残してもらったし、スプレキュアで生理も止めてあるし、しばし激痛とはお別れ。    

 その後、卵巣の内容物も悪性でないことがわかり一安心。だが、大腸との癒着は取りきれず、右の下っ腹が手術後数年経った今でもひきつれて痛い。また、スプレキュアというのは、要するに、擬似閉経療法なので、更年期障害のような症状が現れる。これがかなり辛かった。肩こり、イライラ、頭痛、吐き気、のぼせ、と色々。この副作用と、仕事でのストレスでますます食欲がなくなり、一日に食べる量が、幼稚園のお弁当箱一つ分ぐらいの時期が半年以上続いた。しかも、仕事場では就職するまで飲んだことがなかったコーヒーを空きっ腹に何杯も飲むしで、常に胃がきりきりしていた。定期検診で会う看護婦さんにも、さすがに「見る度にやせて行くなあ。」と言われる。

 仕事も2年目に入り、甘えてもいられなくなってますますストレスが溜まり、だんだん、この仕事を辞めない限り、また激痛と戦うだけになると確信しはじめる。卵巣も、子宮も取らなくて良かった今、今度は、将来赤ちゃんが出来るのだろうか?と心配になってきた。先生は、排卵はあるので、出来ないことはないと言われる。   

 生理が約8ヶ月間ほど止まっていたので、すぐ卵巣が大きくなる心配はなかったが、やはり生理がある度に、内心冷や冷やであった。それに、2年目の夏前には、同期にも「その骨盤の出方は異常だ。」と言われるほど痩せていた。ストレスと薬の副作用で、精神状態も危なく、ボーっと、思うこともなく物思いに耽ることが多くなった。

 上司に、その年一杯で退社させてくれと懇願した。幸せなことに、何度も引き留められはしたが、やはりこのままでは駄目だと2年目の1月で退職した。骨を埋める気で入社したのに、2年と持たなかったが、今思えばああいう体験をして於いて損ではなかった。何しろ、一度期に何個もの仕事をさばくことを強いられていたので、元々手際が悪い方ではなかったが、何をするにもパパパッと出来る能力が付いた。また、世間には、自分の理解能力を超える、まさに理解不能な人々がいることもよくわかった。そういう人たちとばかり折衝しなければならない仕事だったが、問題に直面した時に、何とか処理できるのだという少しの自信も付けた。

 それから何年かになるが、卵巣は大きくなっていない。激痛があったのは3回ほど。痛みがある時間も1時間弱と、前よりは改善しているし、毎月生理痛があるわけではない。ほとんどの月は、全く痛みがない。   こちらスイスの病院でも、チェックしてもらったが異常はない。そして、妊娠している今(2000年4月現在)再発の心配は全くない。後は、妊娠期間と授乳期間の2年弱で、子宮内膜症がどこかに飛んでいってくれたらいいのにと願うばかり。とは言っても、原因が分からないから、治療方法も、閉経を待つか、子宮と卵巣を取るかしかない。再発したら、また薬で生理を止めて、と言った、結局閉経までの間のいたちごっこになるのかも知れない。      

 私の人生の中では、人生に対する見方ががらりと変わる、かなり大きな出来事だったので、ここにまとめざるを得なかった。今はただ、妊娠出来たことに感謝するのみである。

21/04/00