子宮内膜症闘病記2
さて晴れて就職。だいたい1年目の6月頃から異常なストレスに包まれていた。責任のある仕事を1年目から任され、”ワーキング・ウーマン”を目指していた私には、それは非常にやりがいがあった。ただ、その仕事は、一人一人にかかる量が多く、しかも自分でしていかなくてはいけないものだったので、簡単に、体調が悪いから休むというわけにはいかなかった。例の激痛が起こる頻度も高くなり、いつもほとんど明け方に起こるのだが、通勤の途中で起こったら、仕事中に倒れたら、、、と言う不安がいつもあった。毎日毎日理解に苦しむ人たちと電話で話をせねばならず、食欲もだんだんとなくなっていった。体重も半年を待たずして5キロ減った。ただ、まだ精神状態は異常ではなかった。そのため11月頃、また例の激痛があった後、これはやっぱりおかしいと大学の時に行った産婦人科に足を運んだ。
今回は超音波とともに内診もあった。そこですぐさま先生が「左の卵巣がかなり大きい。」と言った。すぐに色々な検査をした方がいいだろう、と。その病院はどちらかというと産科に重きを置いているところだったことと、個人病院だったので、検査は近くの総合病院に行った。とりあえずMRIという事で検査を受けた。結果、その画像から恐らく子宮内膜症だろうとの先生の判断。薬で治しましょうと先生は言ったが、こんなに大きくなっている卵巣が破裂したらどうするの?と思い、知人の紹介を受けて、ちょっと遠いが大きな総合病院へ転院することにした。
新しい先生はなかなか好感が持てた。やはりその先生も子宮内膜症だろうと言い、再度MRIも含めて色々な検査をした。約2週間にわたり検査詰め、しかも私は検査がない日はきちんと会社へ行っていたのだ。そして残業もしていた。今思えば自分の体を痛めつけていた以外の何者でもない。私は、変なところで妙な責任感があり、社員が病気なら、休んだ際の人員確保はこれは社員ではなく会社の責任なのに、自分だけを責めて、迷惑はかけられないと素直に仕事をしていたのだ。
まずMRI、これは変な音を聞きながら筒の中に入れられ1時間ほどじっとしていなくてはならない。私は何をしているのだろう。どこかへ飛んでいきたいとばかり思っていた。つづいてCTスキャン。これも広い検査室にひとりぼっちにされ、ひたすら横になっているのみ。
また、その数日後、注腸透視をした。まず検査の前日に検査食を食べなければならない。これは胃腸を空っぽにしなくてはいけないから。次の日、空っぽの状態で病院に向かった。運の悪いことに生理が始まっており前日にまたあの激痛があったこともあり私はフラフラ状態。何をしているのかもよくわからない。肛門から管を入れられ、画像を見やすくする液体が入り、ガラス張りの台の上に寝たまま、その液体がくねくねした腸にまんべんなく行き渡るように検査師が台を遊園地のアトラクションのようにぐるぐると揺らすのである。私は、落とされないようにつかまっているのが精一杯だった。その検査が終わって、やっぱり私の状態は最悪で、生理痛と、あまりの空腹から来る胃痛で病院で倒れた。通りがかりの先生が近くの救急処置室に入れてくれ、横になることが出来ちょっと楽になった。そのまま産婦人科入院病棟の空きベットに車椅子で連れていってもらいもう一度横になった。かなり楽になったところで、主治医の先生が来てくれた。「そうか、生理と重なって、日が悪かったなあ。でも今日は終わったし。後、大きい検査は胃透視だけやし。」
その3日後、胃透視。これも胃を空っぽにし、検査室で胃の中が良く映る液体を飲まされる。これは口に入れてすぐさま飲み込まないと、すぐ発泡し口の中から泡が出まくる。すぐ飲み込んでと言われたが、そんなにすぐ飲むものとは思わず案の定、口の中から泡が出まくった。それでも何とか飲み込み検査を受けた。これは先日の注腸透視よりは楽だったし、口から管を入れてする検査ではなかったので良かった。
その数日後また病院へ。手術になるだろうが、平行して、生理を止める薬もしようと。スプレキュアと言う、鼻からスプレーする薬。これを毎8時間ごとに毎日吸入しなければならない。8時間ごとに鼻にスプレーすればいいだけなのだが、その時間さえなかなか持てないほど仕事は忙しく、トイレに立つのもやっとだった。こういう状況で一番苦しいのが同僚、特に同性の同僚の無理解である。そのまた数日後、検査結果を聞きに病院へ。ガンではないようだ。とにかく、恐らく子宮内膜症だろうが、確定診断は手術をしないと出来ない。卵巣の腫れも取り除かないといけないし、その内容物が悪性かも検査しなければならない。傷跡が最小限の「腹くう鏡下手術」をしましょうと。その数日後また、手術のための検査、心電図や採血等をした。
スプレキュアを初めてから最初1回だけ生理があった。しかし痛みは全くなく、天国のようだった。そして年明け早々、仕事始めの会社での激務が始まり、それを一段落させて手術のため入院した。手術に対する不安はなかった。ショックもあまりなかった。ただただ、これでしばらくは仕事をしなくてもいいんだ、ストレスからほんの少しの間解放されるんだ、と思った。医学的には、原因の見つかっていない病気ではあるけれど、私なりにストレスが理由だと確信していたので、仕事に復帰してからどうなるんだろうという不安があった。
21/04/00